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【経歴まとめ】森保一監督の現役時代❘ある出会いから始まった

森保一

2022年11月から始まったサッカーワールドカップの監督を務める森保一(もりやす はじめ)さん。

現役時代はどんな選手だったのでしょうか。

ある出会いから始まったとも言えるサッカー人生をご紹介します。

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森保一のプロフィール

森保一

名前:森保 一(もりやす はじめ)
愛称:ポイチ
生年月日:1968年8月23日
年齢:54歳(2022年11月時点)
出身地:長崎県長崎市
職業:サッカー日本代表監督
(元サッカー選手)

【経歴まとめ】森保一監督の現役時代

森保一さんがプロのサッカーチームに入団(1987年)~引退(2004年)までの経歴をまとめます。

1987年 マツダ(現サンフレッチェ広島)入団

森保一

高校の監督と日本サッカーリーグ(JSL)のマツダの今西和男総監督が知り合いだったため、森保さんはマツダへ入団します。

同期は河村孝らがいましたが入団当初はその中で最下位の評価でした。

しかし、この年に就任したハンス・オフト監督と出会うことが人生の転機となります。

マツダでハンス・オフト氏に見出された森保さん。

この時はチームの成績が残せず2部に降格。

そしてオフト氏は退団してしまいます。

1991年 プロ契約

オフト氏の後任であるビル・フォルケスコーチに育てられ、順調に成長。

日本サッカーリーグの1部昇格に貢献しました。

そして、1991年マツダ(現サンフレッチェ広島)とプロ契約をします。

1992年 日本代表入り

森保一

この年、オフト氏が日本代表監督に就任します。

当時、森保さんは無名でしたがオフト氏に見出されていたこともあり日本代表に抜擢されます。

代表メンバーの何人かは存在自体知らなかったようで、存在を知っていても森保さんの名前の読み方をほとんどの人が知らなかったというエピソードがあります。

1992年5月の初戦ではアルゼンチン戦で先発メンバーに抜擢。

この試合で相手の監督が森保さんを高く評価します。

「日本にはいいボランチがいる」

日本に「ボランチ」というサッカー用語が定着するきっかけとなりました。

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1996年 日本代表から外れる

1995年7月に右足首関節脱臼骨折してしまいます。

代表ではボランチとして活躍していましたが、治療の間、他の選手ががボランチに定着したため代表から遠ざかります。

1998年 京都パープルサンガにレンタル移籍

森保一

1997年サンフレッチェ広島は経営悪化し、チーム離脱を余儀なくされます。

しかし、この時もオフト氏が森保さんを誘って1998年に京都パープルサンガへ移籍させます。

1999年 サンフレッチェ広島へ復帰

サンフレッチェ広島へ復帰した森保さんは広島の選手としては初のJリーグ通算200試合出場を達成します。

ただ、当時の監督であるエディ・トムソン氏から評価が低く、先発メンバー入りできなくなりました。

さらに、ケガのため満足な出場もできなくなります。

2004年 現役引退

2002年にサンフレッチェ広島からスタッフ転進のオファーを受けます。

しかし、現役にこだわった森保さんは清水秀彦に誘われベガルタ仙台に移籍。

主力として活躍しましたが、2003年のJリーグシーズン末に仙台はJ2に降格。

森保さんも戦力外通告を受け、2004年1月に現役引退を表明しました。

まとめ

今回は森保一監督の現役時代について、経歴をまとめました。

サッカー選手としては遅咲きでしたが、オフト氏との出会いが数々の功績を残すきっかけとなりました。

監督としての手腕にも期待されますね。

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