格闘技イベントのRIZINで代表を務める榊原信行(さかきばら のぶゆき)CEO。
「この人誰?」「何者?」と感じている人も多いと思います。
実は年収1億の実業家と言われる榊原信行さんについて経歴をまとめました。
ぜひご覧ください。
もくじ
【経歴まとめ】RIZIN榊原信行CEOは何者?
先ずは榊原信行さんのプロフィールを簡単にまとめます。
榊原信行のプロフィール
名前:榊原信行(さかきばら のぶゆき)
生年月日:1963年11月18日
年齢:(2022年10月時点)
出身地:愛知県半田市
職業:実業家
身長:およそ168cm
榊原信行の経歴
これまで多くの実績を残された実業家としての経歴をご覧ください。
1987年 東海テレビ事業株式会社へ入社
榊原信行さんは1987年に愛知大学を卒業し、イベント事業を行っている東海テレビの子会社「東海テレビ事業株式会社」へ入社。
入社7年目の1993年、29歳の榊原さんは格闘技イベント「K-1」の第1回大会を生で観て衝撃を受けます。
この時のことを次のようにコメントされていました。
「屈強な男たちが殴り合っている迫力がとてつもなくて、これはすごいと思ったんです。
僕が子どもだった頃、名古屋巡業に来ていたアントニオ猪木さんの練習を直近で見たことがあるのですが、そのときに似たインパクトがありました。
しかも当時のK-1は、イベントの協賛スポンサーとチケット代のみで興行していて、どこもテレビ放送はしていなかった。
そこで僕は知り合いづてに主催者である石井和義館長を紹介していただき、名古屋でK-1を開催できないか直談判させていただいたんです」
出典:おかねチップス
直談判の結果、1994年に名古屋市総合体育館レインボーホールで「K-1 LEGEND 〜乱〜」の開催が実現しました。
これが日本で初めてK-1がテレビ放送された日となります。
1997年 PRIDEが誕生
榊原さんはプロレスラーの髙田延彦さんと柔術家のヒクソン・グレイシーの異種格闘技戦を実現するため1997年10月11日に「PRIDE.1」というイベントを開催します。
VIP席のチケットが10万円という高額で売れたことが話題になりました。
当初は1回限りのイベントの予定でしたが、好評だったことから格闘技イベント「PRIDE」としてこの後も定期的に開催されることになります。
ちなみに試合結果はヒクソンの腕ひしぎ十字固めにより高田さんの1本負けとなっています。
1999年 DSE設立・常務取締役に就任
1997年から1999年までPRIDEを主催していたKRS(格闘技レボリューションスピリッツ)が解散することになったため、
PRIDEの運営を引き継ぐためにDSE(ドリームステージエンタテイメント)が設立されます。
DSEは総合格闘技とプロレスの興行会社として、PRIDE以外にプロレスイベント「ハッスル」も手掛けますが、榊原さんは常務取締役に就任。
2003年 DSE代表取締役に就任
2003年1月8日にDSEの社長だった森下直人(もりした なおと)さんが亡くなったことで、当時常務取締役の榊原さんが社長に昇格します。
森下さんが亡くなったのは突然のことで、榊原さんは社長を就任することに対して「人生でこんなに悩んだことはなかった」と言われていました。
そして悩まれた末、社長就任の決意表明を次のようにしています。
「『覚悟に勝る決断無し』という野村克也監督の言葉があるように、覚悟を決めた以上、力一杯頑張って行く。」
「PRIDEをスリリングで、戦う男たちの色気の漂う舞台にしたい。」
2004年 ドリームステージピクチャーズ代表取締役に就任
映像媒体の制作業務などを行う子会社のドリームステージピクチャーズが2004年に設立。
榊原さんは代表取締役に就任し、映画製作にも製作総指揮として直接関わります。
代表作は2005年公開の異色時代劇映画「殴者 NAGURIMONO」や2006年公開のカーリングを題材にした「シムソンズ」があります。
2007年3月 PRIDEの経営権を売却
2006年6月、榊原さんが反社会的勢力と関係があるとした記事を週刊現代が報じます。
これによりフジテレビは「フジテレビの信用、品位、イメージに対する保持、配慮をDSEが怠った」として、DSEに契約解除を言い渡します。
契約解除の理由は公には明かされていませんが、フジテレビの幹部社員の一人によると次のように語っていました。
「実は社内調査で、このDSE社が、ある広域暴力団傘下の団体と極めて近しい関係にある疑いが濃圧になったのです。そのため発表直前の役員会では、全会一致で放送中止が決まりました」
出典:週間FRIDAY
しかし、榊原さんはこれを全面否定。
「そのような心当たりは無い。週刊現代の一連の記事は事実無根」
「反社会勢力との付き合いはないし、法も犯していないし、犯罪も犯していない」
週刊現代やフジテレビと訴訟問題に発展しました。
しかし、悪い印象が付いてしまったためスポンサーは軒並み撤退。
銀行の融資も止まりPRIDEの売却を余儀なくされます。
2021年になって榊原さんはこの時のことを次のように語っています。
「記事の内容がデタラメであることは、僕自身がいちばんよくわかっていましたが、白いものを白いと証明する機会も時間も与えられませんでした。
この事実無根の記事などに惑わされない人も少数はいましたが、一度失った社会的信用を取り戻すことはなかなか簡単なことではありません。
銀行の融資が止まって資金繰りが一気に悪化したことと、本当のことに目を向けず噂だけで離れていく日本人たちの多さに、僕の気力も段々と失われていきました」
出典:おかねチップス
2007年12月 FC琉球の総監督に就任
株式会社沖縄ドリームファクトリーを設立。
PRIDE売却時の契約事項に7年間は競業禁止という条項があったため、ここからは格闘技からスポーツに事業を移し、日本フットボールリーグ所属の沖縄プロサッカークラブ「FC琉球」の運営に携わります。
そして、榊原さんのサッカーの情熱や沖縄に対する理念に理解・共感した元サッカー日本代表監督のフィリップ・トルシエさんが、FC琉球の総監督に就任。
2008年からJリーグを目指します。
2009年12月 球団代表に就任
FC琉球の営業権が株式会社沖縄ドリームファクトリーに移管します。
2009年~2013年 日本フットボールリーグの理事を担う
2015年 RIZINの実行委員長に就任
PRIDEを売却した時には格闘技業界に戻る気はなかったそうですが、戦いの場をなくしてしまった選手たちに申し訳ない気持ちでいっぱいだった榊原さん。
気持ちを紛らわせようとした時期もあったようですが、自分に何かできることはないかと考え、格闘技の世界に戻ることを決意します。
そして、2015年10月に格闘技イベント「RIZIN」を立ち上げます。
2015年12月に第一回のイベントとなる「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX2015 さいたま3DAYS」が開催。
PRIDEの全盛期を支えた選手たち(エメリヤーエンコ・ヒョードル、桜庭和志、青木真也、ボブ・サップなど)が出場します。
ちなみに、名前の由来は「ライジング・サン」と「雷神」からきているそう。
【経歴まとめ】RIZIN榊原信行CEOは年収1億の実業家!?
榊原信行さんはこれまで次の企業経営に携わっています。
- 株式会社ドリームステージエンタテイメント
- 株式会社ドリームステージピクチャーズ
- 株式会社うぼん
- 株式会社沖縄ドリームファクトリー
- 株式会社ドリームファクトリーワールドワイド
これらの企業では代表取締役に就任されており、複数の企業を兼務しています。
噂では年収1億ではないかと言われていますが、ほぼ間違いないかと思われます。
株式会社ドリームステージエンタテイメント
2003年3月に設立し、榊原さんは代表取締役を務められています。
<事業内容>
・スポーツ催事、音楽コンサート、映画、演劇、公演、講座の主催及びチケット販売
・スポーツ選手の斡旋
・芸能人の斡旋など
※2007年4月17日に解散
株式会社ドリームステージピクチャーズ
2004年に設立し、榊原さんは代表取締役を務められています。
ドリームステージエンタテイメントの子会社として映像事業を担っています。
株式会社うぼん
2002年4月17日に設立し、榊原さんは代表取締役を務められています。
<事業の内容>
・スポーツマネジメント
・各種スポーツ・芸能イベントの企画制作・運営請負
・宣伝広告事業・広告デザイン制作など
2014年度の年商は25億円でした。
株式会社沖縄ドリームファクトリー
2008年に設立し、榊原さんは代表取締役をしつつ、日本フットボールリーグの理事も務めます。
<事業の内容>
・FC琉球営業支援
・運営代理店業務
・サッカーキャンプ誘致事業
株式会社ドリームファクトリーワールドワイド
2014年12月17日に設立し、榊原さんは代表取締役を務められています。
<事業の内容>
・スポーツイベント等の企画・運営・主催
・放送番組の制作および販売
・プロスポーツ選手の招聘(しょうへい)・斡旋・マネージメント
RIZIN榊原信行CEOについてネットの声
K1を初めて名古屋に持ってきたのは榊原信行#2000年の桜庭和志
— ZAKI (@NADJA64035731) March 5, 2020
RIZIN旗揚げまで格闘技を見ていなかったから。最近、格闘技オタク層にとってはPRIDE&K1崩壊後の冬の時代の方が競技化が進んで正しくて、せっかく選ばれた人間だけで日本の格闘技を楽しんでいたのに榊原信行氏が余計なことをしてという苛立ちが理解できるようになった。
— パンダロウ (@pandasukidesu) January 24, 2018
2003年民放3局格闘技の裏側
PRIDE王者のヒョードルを引き抜いてきたのである。
これに激怒したDSEの榊原信行社長は、暴力団を引き連れて川又を脅迫。元暴力団にしてK-1の“暴力団対策要員”として雇われた川又だが、業界ではPRIDEの“経営母体”で知られる山口組系幹部やPRIDEの実質的オーナーとされる— PGゆうき (@fc_gomes_gk) January 7, 2021
週刊現代に榊原信行氏と暴力団の関係が再び書かれている模様。以前もDSEの社長だったときに関係が報じられてフジテレビとの契約を解除。その後、FC琉球の経営に転じた。再び格闘技に戻りRIZINを立ち上げ。サッカーから離れた人物。FC琉球から離れていてよかった。
— malicia (@malicia_yfm) May 9, 2022
#PRIDE が消滅したのと同じ展開
運営している人達が同じなら、同じ事の繰り返し榊原氏が訴え「#フジテレビ さん戻って」天心戦放送取り消し 週刊誌報道原因なら辞任の覚悟#Yahooニュース #THEMATCH2022 #榊原信行 #那須川天心 #武尊 #RIZIN #K1 #格闘技 https://t.co/r8iKXDwRMe
— Justice (@Justice_6212) May 31, 2022
まとめ
今回は榊原信行さんの経歴ついて、記事をまとめました。
過去に様々な事業を手掛けられており、確かに年収が1億でもおかしくない実績でしたね。
これからの格闘技イベントにも期待です。